産後不眠からの脱出

1カ月半続いた地獄の産後不眠から脱出した記録

16 仕事復帰後の報告

育休から職場復帰したので、その後の状況を報告したいと思う。

不眠が再燃することを心配していたが、そんなことは全くなかった。毎日クタクタで、子どもと夜9時に寝て、朝5時に起床しているような生活だ。復職後に不眠が再燃しなかった安心感からか、睡眠に関しては復職後の方がより安定した。今のところ楽しく仕事できており、家事・育児・仕事・趣味と充実した毎日を送っている。

少し経過を下記にまとめる。

2019年夏頃:産後不眠に陥る(次女の産後2ヵ月~3か月頃)、通院・服薬開始

2019年秋頃:産後不眠から1ヵ月半で、産後不眠から脱出

2020年~:減薬開始

2020年秋頃:断薬完了

2021年4月:育休からの職場復帰

2021年5月:心療内科の通院を卒業(断薬後も念のため3~4カ月に一度通院していた)

 

復職後に不眠が再燃しなかった理由を、自分なりに下記のとおり分析してみた。

・断薬から半年経過しており、睡眠も安定していた

・復職後の仕事が復職前と同じだったため、心に余裕が持てた

・時短勤務とすることで、家での家事育児の時間に余裕を持てた

・産後不眠に陥ったことで認知行動療法等の書籍を何冊も読み、自分の考え方の悪い癖を把握できていたので、悪い考え方に陥りそうなときは、意識的に考えを修正できた

・程よく手を抜いたり息抜きをするようにした

・眠れないことがあっても、「そのうち眠れる」とか「もし眠れなくても大丈夫」と気楽に構えるようになっていた

・色々なことにおいて、「柔軟に」「臨機応変に」「やわらかく」を心掛けた(もともとの性格が、神経質・完璧主義・融通がきかない という感じなので、実践には苦労している)

・過去や未来について思い悩むのではなく、なるべく「今ここ」に集中するようにしている

・ヨガや筋トレ・有酸素運動を毎日続けている(運動はメンタルを整える効果がある)

 

産後不眠に陥ったときも、その後しばらくも、職場復帰はできないと半ば諦めていた。しかし、結果的には大丈夫だった。今、産後不眠に苦しんでいる方も、きっと大丈夫。どのくらい時間がかかるかは人それぞれだと思うが、よくなる時が必ず来るはずだ。だから諦めないでほしい。「やまない雨はない」「明けない夜はない」と同じように、「産後不眠は必ずよくなる」と私は自分の経験から自信を持って思える。産後のホルモンバランスが整えば、きっと元に戻れる。

だから安心してください、あなたもきっと、大丈夫!!

番外編3 産後不眠中のおかしな思考回路について

今回は、産後不眠に陥った1ヵ月半における、私のおかしな思考回路について、少し紹介したいと思う。その期間、私はまさに「心ここにあらず」な状態であった。どうゆうことかと言えば、過去や未来のことばかり考えていて、一番大切な「今現在」のことを、ほとんど考えられなかった。具体的には、以下のようなことをグルグル考えていた。

~自分を責める思考~

・今まで親や夫に迷惑をかけてきたから罰が当たったんだ

・今まで自分勝手だったから罰が当たったんだ、こんなことになったのは自分のせいだ

・こんな状態で家事も育児もできない自分なんてただのお荷物だ、いなくなるべきだ

・子供たちと全然遊べてないし、相手をしてあげられないなんて、最低な母親だ

~未来を悲観する思考~

・これからも眠れないに違いない、むしろもっと眠れなくなる気がする

・(仕事復帰まで1年以上もあるにもかかわらず)復帰できなかったらどうしよう、職場のみんなに不眠のことや心療内科に通っていることがばれたらどうしよう

・このまま薬漬けになって、廃人のようになってしまったらどうしよう

・こんな状態で2人の子育てができるはずない、こんな母親に育てられたら子供たちは不幸になるのではないか、離婚するべきなのだろうか

 

とにかく、過去や未来のことばかり考えて、今現在に意識が向いていなかったように思う。今思えば、色々な書籍にも書いてあるように、「今ここ」を充実させること、「今ここ」に集中することが最も大事であって、その積み重ねがより良い人生へつながるのに、本当に悪い思考回路だったと思う。今はそう思えるけれど、当時はとことんマイナス思考で、そんなことしか考えられなかったのだ。

認知行動療法の書籍をいくつか読んだが、つらさの原因は「悪い考え方のくせ」(認知のゆがみ)によるものであり、メンタル不調に陥った時には特にそのくせが出やすいらしい。悪い考え方のくせは10種類あるのだが、私はそのうちの1つである「結論の飛躍‐先読みの誤り(例:この状況は悪くなるに違いない、この病気は決して治らない等)」がぴったり当てはまった。だから、この先ずっと不眠に違いないとか、この先もずっと薬を飲むに違いない、なんてことばかり考えていた。

不眠やうつなど、メンタル不調に陥っているときの思考回路は、多くの人がおかしなことになるのではないかと思う。私は不眠の時グルグル考えてしまったが、無駄な考え事だったと思う。ろくなことを考えられない状態なのだから、なるべく何も考えない方が良い。そうゆう時は、考えれば考えるほど、苦しくなる。「悪い考え方のくせ」が活性化して、その考え方がさらに状況を悪化させる。当然、そんな時に大事な決断や判断はしない方がいいし、とにかく「今ここ」だけを考えるようにした方が良いと思う。

不調に陥ってからではなく、そうなる前に認知行動療法などの書籍を読み、どんな悪い考え方の癖が存在するのか、そういった考え方を改めるにはどうしたらよいか、知っておいた方が良いと思う。私は「悪い考え方のくせ」の存在を知ってからは、そのくせが出た時には他の考え方ができないか、考えることができるようになった。自分の「悪い考え方のくせ」については、普段から意識しておくと良いと思う。

番外編2 心療内科・精神科の薬について

今回は、心療内科・精神科で処方された薬について、自分が使用した感想も交えながら、紹介したい。あくまでも私の個人的な主観に基づく感想なので、個人差があると思われるが、参考になればと思う。産後不眠に陥る前まで、いや、陥ってからもだが、私は心療内科や精神科で処方される薬への先入観が強く、依存性を極端に怖れていた。実際には、依存することもなくすんなり辞められた。あれこれ色々な薬を試したので、結構な種類の薬を飲んだ。

マイスリー睡眠薬)~

・非ベンゾジアゼピン系とはいえ、短時間型のため、依存性あり

・急に意識がなくなって眠る感じの薬

・不安を和らげる効果はあまりなかったので、不安が強くなるにつれて効かなくなった

マイスリーで眠っても全然元気にならなかった(強制的に眠らされただけの感じ)

・日中の物忘れが酷くなった

産婦人科医による処方であり母乳は継続してよいと言われたが、赤ちゃんが眠りがちになるように感じ、早々にミルクへ切り替えた

デパス抗不安薬)~

・依存性の高いベンゾジアゼピン系の中でも、短時間型であり、特に依存性の高い薬

・これを飲んだから眠れた、という記憶がない

・依存性が怖い自分にとっては、飲むことで依存への恐怖が増大することとなり逆効果だった

ソラナックス抗不安薬)~

ベンゾジアゼピン系のため、依存性あり

・日中、どうしてもつらい時に服用したが、飲むと少し楽になった

ソラナックスの効果がきれると不安が増大するのが分かり、不快だった

・中間型で、効果時間がそれほど長くないので、安定的に症状を抑えたい人にはあまり向いてないかもしれない(自分には向いていなかった)

デパスと一緒で、飲めば飲むほど依存への恐怖が増大し、逆効果だった

ジアゼパム抗不安薬)~

ベンゾジアゼピン系のため、依存性あり

ソラナックスからの置換で処方された(中間型→長時間型への置換は、減薬・断薬の過程でよく使われる手段)

・眠気が出る

・長時間型なので、全体的に落ち着かせてくれる効果があったように思う(ソラナックスのように、薬がきれたときに不安が増大するような感覚が生じない)

・ゆっくり減薬したためか、減薬も断薬もスムーズだった

・断薬後、数日間頭痛が続き、離脱症状だったのかもしれない

ジェイゾロフト抗うつ剤SSRI)~

・1週間ほど服用を続けた段階で、効果がじわじわ出てきた

抑うつ状態から脱することを助けてくれた(不安感が減ったように感じた)

・眠っていなくても、ジェイゾロフトのおかげで体が動くようになっていった

・服用している間は、感情の起伏があまりない状態だった(フラットに保ってくれる感じ)

→自分は、断薬後の方が感情が豊かに動くようになったと感じた

・医師からは依存性はほとんどないと説明を受けていたが、減薬も断薬も大変スムーズだったし、不安がぶり返すこともなかった(ゆっくりペースの減薬だったのがよかったのかもしれない)

~ルネスタ睡眠薬)~

マイスリー同様、効果を感じられなかった

セロクエル抗精神病薬)~

・最小量だったからか、ほとんど効果を感じず、ジプレキサへ切り替え

ジプレキサ抗精神病薬)~

セロクエルからの切り替えで処方される

・最小量の1錠ではほとんど効果を感じず

・2錠に増やしてから、急に眠れるようになった

・不安や緊張や恐怖を鎮め、深い眠りをもたらしてくれる

・すぐに寝つき、ほとんど夢も見ず深い眠りに入り、朝までぐっすり一度も起きなかった

・昼間も眠い(特に車の運転中に眠くなり困った)

・食欲が増す

・とにかく太る(短期間で4キロも太り、早々にベルソムラへ切り替えた)

・急に断薬したが、一切離脱症状等はなかった(医師からも依存性はないと説明を受けていた)

~ベルソムラ(睡眠薬)~

・依存性も耐性も極めて低いと医師から説明を受ける(そのため、依存性が怖い自分にとっては安心して服用できる薬だった)

・眠気が出る

・薬を飲まずに自然に眠るときと同じような感じで眠れる

・気づいたら眠っている感じ

・浅い眠りが多い印象で、夢をよく見る

・昼間の眠気はなし

・断薬しても眠れなくなることはなかった

番外編1 心療内科・精神科の世界

産後不眠についての更新は一旦きりがついたが、番外編をいくつか更新したいと思う。

まずは、心療内科・精神科の世界について紹介したい。これまで30年以上生きてきて、無縁だった世界である。受診する前と受診した後で印象は変化した。

受診する前は偏見があったし、どの心療内科・精神科も怖い場所だと思っていた。受診することにも抵抗があった。

私は予約不要で最初に受診したB病院と、その後かかりつけとして通院したA病院の2つの病院に行ったことがあるのだが、それぞれどんなところだったか紹介する。共通して、初診では生い立ちや家族構成、学歴、職歴等、非常に細かくヒアリングされた。

それぞれの病院に対する印象は対照的であった。

~予約不要のB病院~

・いかにも精神科という感じの暗くて古い病院。

・入院施設もあり、重症の方が多い印象で、見るからに異様な方(ブツブツ独り言を言っている方・リストカットの跡だらけの若者・怒鳴っている方・落ち着きのない方)がいた。

・薬の副作用が強くて病院に駆け込んでいるような人が何人かいて、診察室で副作用を和らげるための注射をしてもらっている人がいた。相当な量の薬を飲んでいるのだろうと察した。

・自分の診察中に看護師が診察室に駆け込んできて、「(入院中の)○○さんが暴れていますがどうしますか?」と医師に聞いてくる場面があった。医師は「保護室に連れて行って」と答えており、とても怖かった。入院している方はもっと重症なのかもしれない。「保護室ってなんだろう…縛ったりするのかな…。」と、本当に怖くなった。

ベンゾジアゼピン系の薬を抵抗なく処方してくる。依存性のない薬をお願いしたにも関わらず、よりによってデパスソラナックスを処方されるという謎。

・薬の依存性が怖いと訴えても、「ビール一杯の方がよっぽど依存するから大丈夫。」と取り合ってもくれない。

・すぐに「この病院に通っても治らない。」と悟る。

~かかりつけとして通院することになったA病院~

・新しく、綺麗で清潔感のあるクリニック。

・内科や歯科等のクリニックとさほど変わらないような雰囲気。

・入院施設もなく、軽症な方が多い印象で、待合室でも異様な雰囲気の方はあまりいなかった。

・人気があるのか、予約が取りにくく、待ち時間も長い。

・医師は物腰柔らかく、自分の希望をなるべく尊重した処方をしてくれる。試したい薬があったら、何日分かを試しに処方するなど、柔軟に対応してくれた。

ベンゾジアゼピン系などの依存性のある薬に極めて慎重で、極力それらを処方しない方針。

・不眠の場合、睡眠薬睡眠導入剤を処方するのがオーソドックスだと思われるが、依存性の問題等を考慮してか、抗精神病薬であるジプレキサセロクエルの処方を行うのが医師のよく使うテクニックのようだった。

・不眠の認知行動療法のセッションや心理カウンセリングが受けられるなど、薬以外の治療方法も用意されていた。

~まとめ~

B病院は、私の想像していた感じの精神科病院だった。対して、A病院は、想像とは逆のクリニックで、通いやすく、居心地も悪くなかった。処方に関する考えも、A病院とB病院では全く違った。病院によって全然違うのだなと思った。良い病院で診てもらえるかどうかが、運命の分かれ道ではないかと思う。敷居が高いと思わず、本当に困ったときには、勇気を出して受診するのが良いと思う。ただし、受診が必要な状態に陥ってから病院を探すのは、非常に難しい。だから、元気な時に、地域の精神科・心療内科の口コミ等をよく調べておき、メンタルの不調をきたしたときに受診するクリニックを決めておくことをオススメしたい。また、地域にもよると思うが、初診の予約が取れるのは1~2週間後なので、どん底に陥る前に、早めに予約をとっておくこともオススメだ。

自分は病院に行っていなかったら、おそらく治っていないだろうと思う。薬に抵抗があった私としては飲みたくなかったけれど、眠れるようになったのは薬の効果も大きいと思う。薬については、また番外編で詳細を更新したいと思う。

15 産後不眠を振り返って(まとめ)

産後不眠に陥った1ヵ月半は、これまで生きてきた中で、間違いなく最もつらい時期だった。なぜ不眠に陥り、それが続いたのか、そこからどうして回復できたのか、少し振り返り、まとめてみたい。不眠に悩んでいる皆様にとっても、参考になるかもしれない。

~産後不眠の原因と不眠が続いた原因~

・元々の自分の性格。(完璧主義・神経質・真面目・物事が悪くなると決めつけるなど)

・産後のホルモンバランスの乱れ。

・生後間もない赤ちゃんのお世話で気が張っていた。

・眠らないと血圧が上がると思い込んでおり、「血圧が上がりすぎて脳出血などが起きたらどうしよう。」と眠ることに異常なプレッシャーがあった。(1人目のときも2人目のときも、出産後の入院中ほぼ一睡もできず、血圧が上がり入院が長引いた経験がある。)

・眠らないと日中何もできないほどしんどくなると思い込んでいた。

・1日7時間ほど眠らないといけないと思い込んでいた。

・眠れないことが続くと死んでしまうと思い込んでいた。

・このまま眠れなかったらどうしよう、薬を飲まないと眠れなかったらどうしよう、薬を飲んでも眠れなかったらどうしよう、薬を増やしても眠れなかったらどうしよう、と将来の不安がループし、眠れないことへの恐怖が大きくなっていった。

~産後不眠から回復できた理由~

・早めに良い心療内科(A病院)を受診できた。(B病院にずっと通っていたら、おそらくもっと悪化していたと思われる。)

・家族(母・夫をはじめ、父や姉にもフォローしてもらった)の全面的な協力が得られたため。(これがなかったら、回復していない。)

・薬の依存性を極端に怖れていた私は、早めに依存性の少ない薬に切り替えできたことで気持ちが楽になった。

認知行動療法の本を読み、自分のよくない思考の癖(物事が悪くなるに違いないと決めつける等)が分かった。他の見方ができないか、考えるようになった。

・A病院で、不眠症認知行動療法のセッションを受けた。どのような習慣が不眠につながるのか知識を深めた。

・睡眠関係の本を読み、人間、たくさん眠らなくても大丈夫だと知った。1日平均45分しか睡眠をとらない方もいると知り、安心する。1日7時間は眠らないといけないというプレッシャーがなくなった。

・本を読み、メンタル疾患の原因として食事が大きく関係していると知り、鉄・タンパク質・ビタミンをしっかりとるようになった。これまで、特にタンパク質が不足していた。

・本を読み、睡眠にもメンタルにも運動が良いことを知り、ヨガ・筋トレ・有酸素運動を実践するようになった。

・太陽の光をなるべく浴びるようになった。

不眠症の方のブログ等を見て知識を増やした。中には、数ヵ月一睡もしていなくても活動できている方も複数おり、安心した。

~最後に~

あの地獄の1ヵ月半には二度と戻りたくないけれど、この経験のおかげで、これまでの自分を振り返り、改善すべき点が沢山見つかった。自分の人生にとっては必要な経験だったのかもしれない。これまでいかに凝り固まった考え方をしていたか、融通がきかなかったか、自己中心的だったか…挙げたらきりがないけれど、それらが改善されてきていると思う。人の性格や考え方は、簡単には変わらないけれど、時間をかけて、よりよい方向に変わっていきたい。そう思っている。

以上で、ブログの更新は一旦終了しようと思う。自分の経験が少しでも誰かの役に立てれば、本当にうれしく思う。何か質問などがあれば、気軽にコメントいただきたい。

14 産後不眠脱出後の睡眠の波

薬は卒業できたが、今も毎日たっぷり眠れるわけではなく、波がある。意識してしまって一睡もできないこともいまだにあるし、月に数回は数時間しか眠れない日もある。1週間や2週間、1日数時間の睡眠が続いたこともある。それでも前のようにならないのは、眠らなくても大丈夫だと分かっているからだ。経験は財産だ。眠れないことが続くのはもちろん辛いけれど、波を経験し、乗り越える度に自信がついていった。波が大きいほど経験値は上がり、自信がついた。ちょっと眠れなくなっても、「この前2週間眠れなくても大丈夫だったじゃないか。」などと思えるようになった。また、ブログで拝見した数ヵ月一睡もしていなくても活動できている方の存在や、本で拝見した1日平均45分睡眠の方の存在などがとても励みになった。人間、不眠で死ぬことはないという。死ぬ前に眠るらしい。不眠で悩んでいる皆様は、どうか気持ちを楽にしてほしいと思う。

13 産後不眠後の減薬・断薬

薬に抵抗があった私は、早く薬をやめたかった。最終的にすべての薬を断薬できるようになるまで1年かかったが、どのように断薬に至ったか紹介する。

~1.ルネスタ断薬~

ネスタは眠れるようになってから1週間で断薬した。もともと頓服だったし、効果を感じなかった薬だったため抜いてみた。抜いても全く問題なく眠れた。

~2.ジアゼパム断薬~

医師の指導のもと、ベンゾジアゼピン系のジアゼパムから減薬が始まった。1ヵ月に1度のペースで通院していたため、減薬のペースはゆっくりだった。1ヵ月に1ミリずつ減らした。5ミリ→4ミリ→3ミリと減らしていき、5ヵ月かけて断薬。離脱症状としては頭痛があったくらいだった。

~3.ジプレキサ断薬→ベルソムラへ切り替え~

ジアゼパムの減薬中、ジプレキサを2錠→1錠→0錠に2日で断薬した。同時に、試してみたいとお願いして処方いただいていたベルソムラを飲み始めた。眠剤は、こうして早々にジプレキサからベルソムラへ切り替えた。ジプレキサが2錠になってから、体重が4キロほど一気に増え、早く卒業したかったのだ。ジプレキサは効果は高いが、ものすごく太る。そこまで食べる量が増えていなくても太る。世の中の太っている人に対して、今までは「食べ過ぎなのだろう」と思っていたが、ジプレキサのような太る薬のせいで太っている人もいることが分かった。ベルソムラは依存性も耐性も極めて低いので、早々に切り替えができて嬉しかった。ベルソムラなら、一生飲んでも構わないと考えていた。

~4.ジェイゾロフト断薬~

ジアゼパムの断薬後、抗うつ剤であるジェイゾロフトの減薬に入った。これもゆっくりペースで、2錠飲んでいたのだが、1ヵ月に0.5錠ずつ減薬した。断薬まで4カ月かかった。ジェイゾロフトを飲んでいるときは感情の波があまりなく、フラットな状態だったが、断薬後は、感情の波が元に戻った。嬉しいとき・悲しいとき・怒っているときと、しっかり感情が動くようになったように思う。断薬後の方が人間らしくて自分は好きだ。

~5.ベルソムラ断薬~

最後に残ったのがベルソムラだ。20ミリ→15ミリ→10ミリと5ミリずつ減らした。途中、眠れなくなることもあったが、4カ月ほどかけて断薬した。そのようにして、最終的にすべての薬を卒業できた。

12 産後不眠中の家族とのエピソード

産後不眠中の1ヵ月半、家族とも色々なことがあったので少し紹介したい。

~長女と夫の涙~

次女の産後から、私は次女と2階で夜寝ていて、長女は夫と1階で寝ていた。ずっとママと寝るのを我慢していた長女が、私の産後不眠中に「ママと寝たい」と泣きながら訴えた。泣くほど我慢させていたことが、本当に申し訳なかった。その日、長女が寝付くまで1階で私も寝ることにしたのだが、嬉しかったのか、1時間経っても長女は起きていた。結局そのあと2階に行ったのだが、夫が「一緒に寝てくれてありがとう」と涙を流した。私の産後不眠中も、冷静に私を支えてくれていた夫が唯一泣いた場面だった。私も申し訳なくて泣けてきた。「早く不眠から抜け出さなくては」と思った出来事だった。

~家事育児~

産後不眠中、私は次女のミルク以外家事育児ができなかった。基本的には母が家事をしてくれた。私が家で次女と二人きりになれなかったので、保育園の送り迎えは夫がやってくれた。育児に関しても、母と夫で頑張ってくれた。子供たちと遊んであげられないのが本当に悲しかった。長女は私の様子がおかしいことを感づいていたのだろう、トイレが異様に近くなった。酷いときはトイレの数分後にまたトイレに行っていた。すごく心配したけれど、これも一時的なもので、間もなく治った。だが、間違いなく長女の精神面にも影響していただろうと思う。

11 A病院への通院(4回目)と不眠脱出

4回目のA病院通院で、薬が大幅に変更となった。抗うつ薬の効果は出てきているものの、睡眠が一向に改善しないためだ。

ジプレキサ:最小量→2倍に

ジェイゾロフト:最小量→2倍に

ソラナックス→効果の長いジアゼパム

ネスタ:そのまま

デパス:なしに

その晩、やはり前回の受診後と同様、「薬が増量になったのに、それでも効かなかったらどうしよう」と緊張した。肩も緊張でガチガチになった。にもかかわらず、その晩は6時間眠れた。そしてそれ以降、毎日7時間ほど眠れるようになったのだ。これまで、薬の効果よりも自分の不安感や焦燥感などが上回ってしまい眠れずにいたのが、ここにきてやっと薬の効果が上回ってくれたようだ。

そこからの回復は驚くほど早かった。眠れるようになると、数日で日中もすこぶる元気になった。早速次女のお食い初めに行った。育児も家事も車の運転もできるようになり、不眠に陥る前のような状態に戻ることができた。

不眠が始まって1ヵ月半。やっと地獄から元の世界に戻れた気がした。あの1ヵ月半は、自分が自分でないような気がしたし、どこか違う世界に迷い込んでしまったような感覚があって、常に「早く元の世界に戻りたい。」と思っていた。産後不眠から脱出して、当たり前の毎日が、この上なく幸せだと思えた。眠れるようになって一週間が経ち、母には実家に帰ってもらった。

10 職場への挨拶

不眠になってから、ずっと気になっていたことがあった。職場への挨拶だ。私の職場は、産後に生後数か月の赤ちゃんを連れて、挨拶に行く慣例があった。しかし、不眠になってそれどころではなかった。でも、ずっとそのことが気になっていて、「行かなきゃ。」とプレッシャーになっていた。そこで、思い切って職場に行くことにした。何かしら行動を起こして、今の状況を少しでも変えたいという気持ちもあった。うじうじ悩んでいる自分にうんざりもしていた。

本来は事前にアポをとって行くべきだが、そんな余裕はなかった。ソラナックスを飲んで挑んだ。結果、行ってよかった。行けたことで安心した。職場の人とも話せて、赤ちゃんを可愛がってもらい、刺激にもなった。「行かなきゃ。」というプレッシャーからも解放されたし、少し自信がついた。その日の晩は6時間眠れた。しかし、その後は相変わらず一睡もできないか、1日数時間の睡眠が続いた。

不思議なことに、こんなにも眠れていないのに、最悪だった頃と比べ動けるようになってきた。このころ、認知行動療法の本や、睡眠関係の本を買って読み始め、認知行動療法のワークなども始めた。皿洗いや洗濯物など、少しずつ家事もできるようになってきた。そして、4回目の通院によって、劇的な変化が訪れるのだ。

9 A病院への通院(3回目)

2回目のA病院通院から1週間後、3回目の通院だった。一部の薬が変更になった。マイスリーがルネスタに、セロクエルジプレキサになった。診察では、医師から「顔色が良くなっている。」と言われ、「抗うつ剤の効果も出てきている。」とのこと。これまで1週間ごとの診察だったが、次回は2週間後となった。

診察日の夜、「薬が変更になったのにそれでも効かなかったらどうしよう」と緊張した。この頃の思考回路は、異常なほどにマイナス思考だった。寝る時間が近づくにつれ、緊張して肩がガチガチになった。結果、その日は1時間も眠れなかった。不眠が始まって、既に1ヵ月が経過していた。

8 A病院への通院(2回目)

初診の1週間後、A病院2回目の通院だった。症状が悪化し、抑うつ状態が酷くなってきたことから、抗うつ剤であるジェイゾロフトの服用を開始することになった。不眠が始まって3週間が経過していた。

2回目の通院の週末、長女の保育園の運動会があった。見に行けなくて、本当に悲しかった。長女にも申し訳なかった。今思うと、この辺りが最も精神状態が悪かったと思われる。

ところが、その翌週少し変化が訪れた。何に対しても心が動かず、興味をなくしていたのだが、母の買い物についていったとき、特売で色々なものがとても安くなっていた。「今日安いね!これも安い、これも安い!!」と嬉しくなった。こんなことは、不眠になって初めてのことだった。抗うつ剤を飲み始めて1週間たった頃だった。じわじわと薬の効果が表れ始めてきたようだ。

しかし、睡眠状態に関しては悪くなる一方だった。3回目の通院前には、3日連続で一睡もできなかった。

7 症状の悪化

2つの病院を受診したのに、ますます眠れなくなっていくことで更に不安が募り、日中の不安感や抑うつ状態が酷くなっていった。不安に耐え切れず、A病院で処方されたソラナックスを日中服用するようになった。飲むと少し楽になる気がした。しかし、ベンゾジアゼピン系なので、依存性が気になって仕方なかった。このころから、様々な身体症状が次々と現れた。精神状態の悪化からくるものなのか、薬の副作用なのか、極度の睡眠不足によるものなのかはよく分からなかった。

・常にこめかみが圧迫された感じ

・手先がおぼつかず、細かい作業ができない

・うでの血管が浮いて痛くなる感じがする

・肩の緊張感、肩のこわばり

認知症になってしまったかのように、物忘れがひどい

TVも全く見れなくなった。TVに出ている人や外で見かける人に対し、「あの人は眠れているのだろう、羨ましい。なんで自分は当たり前のことができないのだろう。」と落ち込んだ。そして、次女と二人きりで家にいることもできなくなった。だから、母の買い物にもついていった。毎日、1日を生きるのがやっとな状態だった。このころから、次女のミルクを飲ませる以外、ほとんどソファに座ってグルグルと考え事をしていた。家事も育児も何もできない、こんな自分は生きている資格がない。しきりに自分を責めた。死んだ方が楽だと何度も思った。それくらい毎日がギリギリで、辛かった。本当にただ生きているだけだった。「末期がんの患者さんのように、生きたくても生きられない人もいる。重い病気で何をしても助からないわけではないのだから踏ん張って生きないと。」と必死に自分に言い聞かせた。

6 母乳からミルクへの切り替え

セロクエルを飲んだ場合、母乳はあげないようA病院の医師から指示があった。マイスリーなどについては産婦人科で母乳を続けて良いといわれていたが、次女が眠りがちになるように感じたし、薬の服用は長引くことが想定されたため、これ以上の次女への薬の影響を避けたかった私は、ミルクに切り替えることを決意した。産後、苦労して母乳育児を軌道にのせ、完母でここまで来たのに、本当に悲しく、悔しかった。次女に対しても、生後2か月で母乳をあげられなくなることが申し訳なかった。おっぱいを飲む姿は本当に可愛く、愛おしく、自分の存在意義も感じられ、何より幸せな時間だったから、最後の母乳のときも、その後も、涙が止まらなかった。「ごめんね、ごめんね…」何度も次女にあやまった。結局、薬を飲まなくなるまで1年かかったので、ミルクへ切り替えるという判断は正解だった。ミルクでも問題なく元気に育った。むしろ発達はすこぶる順調で、発語等も早かった。母乳よりもっと大事なのは、母親がちゃんと生きて、たくさんの愛情を注ぐことだと思う。

5 睡眠専門の心療内科(A病院)への受診

予約不要のB病院を受診した3日後、キャンセル待ちで予約していたA病院の空きが奇跡的に出た。台風で電車が止まり、来られなくなった初診の患者さんがいらしたのだ。これは奇跡だった。通常、この病院の初診は何ヶ月も先になると聞いていた。それがこんなに早く受診できるなんて。私が回復したのは、この病院の医師と出会えたからだ。初診での診断は、「適応障害かな?」とのことだった。後に、「精神生理性不眠症」という診断となった。うつ病ではないそうだ。こちらの医師は依存性のある薬に慎重だった。薬の依存性を極端に怖れていた自分には、この医師の処方は合っていた。初診時、抗精神病薬であるセロクエルが、睡眠を促すために処方された。睡眠薬ではなく眠気のでる抗精神病薬を処方するのは、先生がよく使うテクニックのようだった。ベンゾジアゼピン睡眠薬などと比べ、依存性が少ないからだろう。ところが、最小量の薬では、私にはあまり効果がなかった。相変わらずほとんど眠れない日々が続いた。不眠が始まって2週間が経過しようとしていた。