産後不眠からの脱出

1カ月半続いた地獄の産後不眠から脱出した記録

4 予約不要の精神科(B病院)への受診

初めは抵抗がありしばらくためらっていたが、このままでは治らないと思い、精神科又は心療内科への受診を決意した。ところがどこの病院も予約できるのは2~3週間後だった。とりあえず、睡眠専門の心療内科(A病院)をキャンセル待ちで予約したが、いつ空きがでるのか分からなかった。そこで、ひとまず予約不要で行ける精神科(B病院)に行くことにした。1日も待てないような状態だったのだ。このような状態で運転ができるわけもなく、夫に病院へ連れて行ってもらった。そこの病院は古く、カルテなども手書きで、患者のフルネームのカルテファイルなどが並んでおり、えーっ?いつの時代の病院?という感じだった。患者がたくさん待合室にいて、様子がおかしな人もいて、私もこんな風になってしまうのか…と落ち込んだ。ここでの診断は「産後うつでしょう」だった。「産後よくあることで、すぐ治る」と言われたが、安心できなかった。依存性のない薬をお願いしたが、よりによって依存性の高い薬ばかり(デパスソラナックスマイスリー)が処方された。母乳も続けてよいとのことだった。今思えば、この病院はハズレだった。薬の依存が気になって仕方がない私には、処方が全く合わなかったのだ。この日の夜からは、夜にデパス0.5ミリとマイスリー10ミリを服用した。

3 母の到着

母が我が家に来てくれて、安心して声をあげて泣いた。私は関東在住、母は中部地方在住だった。母は、認知症の祖母の世話を父に任せ、しばらく我が家に滞在してくれることになったのだ。父母の助けがなければ私は死んでいたかもしれない。心から感謝している。しかし、母が来てくれても眠れるようにはならなかった。一睡もできないか、1日数時間の睡眠が続く。不眠が始まって10日ほどが経過した。

2 産婦人科病院の受診とマイスリーの処方

さすがにマズいと思い、産婦人科を受診した。そこで、マイスリー10ミリが1ヶ月分処方された。医師からは授乳も問題ないと説明を受ける。「これで眠れる。」と思ったが、ここからが地獄の始まりだった。薬をもらってその晩、早速服用した。6時間眠れた。しかし、翌日体調は良くなるどころかますます悪くなった。動悸がして、自分が自分の身体じゃないような感覚になってきた。「薬が効かなくなったらどうしよう、依存したらどうしよう」と心配ばかりが膨れあがり、薬を飲んでもあまり眠れなくなった。薬への恐怖が薬の効果を上回ってしまったのだ。昼間も不安が強くなり、赤ちゃんのお世話や家事もままならなくなってきた。「どうなってしまうのだろう、どうしてこんなに眠れないのだろう、薬を飲んでも眠れないなんておかしい、赤ちゃんのお世話ができなくなったらどうしよう、このまま眠れなかったら死んでしまうのではないか…。」そんなことばかり考え、マイスリーを飲み始めて4日後、いよいよ何もできないような状態になった。そこで、実家の母親に来てもらうことになった。

1 地獄の産後不眠の始まり

~このブログの目的~

世の中の不眠で困っている方々に、少しでも役に立つ情報を発信したいと思った。

 ~前提として~

私は不眠がとても怖かった。眠らないと血圧が上がると思っていた。1人目のときも2人目のときも、出産後の入院中ほぼ一睡もできず、血圧が上がり入院が長引いた。そもそも産後の約5日間の入院中に一睡もできないのはおかしいのだが、眠らないと血圧が上がって退院できないと思うと焦って眠れず、退院したら眠ることができた。産後不眠に陥った原因として、血圧が上がることへの恐怖が大きかったと思われる。 

~産後不眠の始まり~

2人目の出産後、それは突然訪れた。産後2ヶ月ごろのことだ。1週間ほど次女の夜泣きが続いた。一時的なものだったようで夜泣きはおさまり、「やっと眠れる、眠らなくちゃ。」と思ったら、寝不足のはずなのに全く眠れない。おかしい。「寝なきゃ。」と思うとますます焦る。結局、そのまま一睡もできずに朝を迎えた。次の日も、その次の日も、眠れなかった。眠れても1日1時間に満たないくらいで、浅い浅~い眠り。それが5日続いた。こんなに眠っていないのに眠れないのはおかしい!と頭はパニック状態。どんどん焦りが増し、その焦りでますます眠れないという悪循環だった。食欲もなくなり、唾液も出なくなり、食事も味がしなくなった。頭が全然働かず、テレビを見ても内容が分からなくなってきた。